北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久

第73回 証拠の分析・評価は科学によって行われなくてはなりません 
証拠の分析・評価は科学によって行われなくてはなりません
●「8月10日発見押収のリン止めネジ」は外部から持ち込まれた捏造証拠で
 (1)8月10日(逮捕当日)、私の(元)居室の布団袋の中から「発見された」とされる押収リン止めネジには、目立ったドライバー傷はありませんでした。そのことは、裁判所の「証拠開示勧告」に従って検察官が開示した「8月21日付け中島鑑定書」(8月16日から18日に検査)によって証明されています。中島氏は1審48回公判でも「特徴のないネジである旨」を証言していますし、「発見者」の里警部も「特徴なし」と証言しています(46回公判)。

 しかし、法廷に証拠物として出てきたリン止めネジには、目立つドライバー傷が3ヶ所についていたのです。吉村新鑑定書です。事実上の捜査指揮官である石原警視がその後に傷をつけたのです(第71回コラム参照)。

 8月10日に「発見された」というのが真実であれば、仮に目立つ傷がついていないネジであろうとも、そのネジに違法な工作をすることはありえません。道警は8月7日には私がゴミステーションに捨てたダンボール箱を押収して、工具類や器具や書籍などを手に入れていましたから、これらと合わせれば私が時限装置を作っていたことの立証はできるからです。「発見押収ネジ」に違法工作をした事実こそ、「発見押収ネジ」が捏造物であることを証明する事実なのです。

 (2)裁判所が「開示勧告」したものの中には、写真のネガフィルムもありました。8月10日前に撮った写真のネガフィルムも、8月10日に撮った白黒写真のネガフィルムも、8月10日以降に撮った写真のネガフィルムもちゃんと開示されました。しかし、8月10日に撮った写真のうちの、「発見ネジ」等を撮ったカラー写真のネガフィルムのみ、検察庁へも送られてなく、道警にも存在しないということが判明したのでした。つまり、石原氏かその命を受けた信頼された人物が、このネガフィルムを秘密裏に廃棄してしまったということです。その時期は、私たちが「傷」を問題にし始めた上告審(1988年1月〜1994年9月)の時だと考えられます。もしネガフィルムの開示勧告がなされたら、それを拡大されたら発見ネジ(8月10日)には傷がないことが判ってしまうとおそれたためです。このネガフィルムのみが処分されていたことも、「発見押収ネジ」が捏造物であることを証明する事実です。

 (3)道警は「発見押収ネジ」を捏造したことを隠すために、「演技の捜査」を行いました。石原警視は証人として出廷すると、「8月10日に発見押収したネジにつきまして、8月15日なって、何に使われるネジだろうかということで、市内の聞き込み捜査を指示しました」と証言したのです。8月15日、3人の警察官が時計店へ聞き込みに出向いています。この捜査は、「道警ははじめは発見押収ネジの重要性を全く認識していなかったのだ」と、私たちや裁判官また傍聴するマスコミ記者を騙すための「演技としての捜査」でした。

 道警は、中島氏への「発見押収ネジ」の測定等の鑑定嘱託も、やっと8月13日になって行っていますし、「発見押収ネジ」の拡大写真も8月18日に撮っています。8月10日にカラー写真で撮った「発見押収ネジ」等の「写真撮影報告書」も8月28日に作成しています。すべて「発見押収ネジ」の重要性を認識していなかったとアピールするための「演技の捜査」です。そしてこうした捜査を積み重ねて、道警は8月28日付け中島氏への鑑定嘱託、8月29日付け中島鑑定書で、やっと「道庁爆破の時限装置は、2本のリン止めネジ(マイナスネジ)の代わりに互換性のあるケース止めネジ(プラスマイナスネジ)が使われているという特殊なネジの使われ方がされている。したがって犯人の元にはリン止めネジ2本が残ったことになる」と記載するに至るわけです。つまり、道警はここに至って「発見押収ネジ」の重要性を認識したというわけです。だから、道警は「発見押収ネジ」の捏造なんかしていませんよとアピールしたわけです。

 しかしながら、中島氏は私たちに追及されると、道警爆弾捜査本部はもう4月、5月の段階で犯人の元にリン止めネジ2本が残されたことを認識していたことを証言したのでした。だから、もしも「発見押収ネジ」が真実ならば、道警は8月10日付けで中島氏に鑑定嘱託をして、8月11日には「8月29日付け中島鑑定書」と同じものを作成しています。8月10日のうちに、ネジの拡大写真も撮っていますし、8月10日の発見時にカラーフィルムで撮ったネジやその他の「写真撮影報告書」も至急作成させています。

 道警が前記のような「演技の捜査」を行った事実は、「8月10日発見押収ネジ」が外部から持ち込まれた捏造証拠であることを十二分に証明しています。今回、裁判所の開示勧告によって開示された証拠の中には、「演技の捜査」を示す証拠が多くあります。新証拠として申請していきます。なお「松田写真撮影報告書」の新証拠の意義は、第71回コラムで書きましたので今回は割愛しました。

●証拠の分析・評価は科学によって行われなくてはなりません
 私が前記(1)(2)(3)で主張したことは科学です。つまり完全に正しいのです。科学とは正しい論理であり、数字や数値のことではありません。数値はどれだけでも誤魔化すことができます。

 日本では、裁判でも国会審議でも政府の報告書でもあるいは学者の論文でも、科学を否定した、事実の無視や歪曲また捏造、そして「言葉の表現」で誤魔化す主張が余りにも多いのです。永遠の真理・正義である<法>、その<法>の支配が無いためです。日本にあるのは、<法>の支配と対立する「法治主義」です。<法>の支配とは、政府も一般国民も<法>に支配されることを言います。真理・正義に支配されるということです。「法治主義」では、人間の方が法律を都合よく解釈してしまいます。法律を否定することもあります。あるいは自分たちに都合のいい法律を作ってしまいます。「人の支配」です。この在り方は科学に反するものです。だから上記のようなことになっているのです。

2015年9月14日記
大森勝久


【お知らせ】
 第74回コラムは、関連しますので、特別に10月中旬ごろアップ致しますので、お見逃しのないようご覧ください。
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