北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

 第61回 2014年夏の出来事(2014年9月6日記)
2014年夏の出来事
●初めてミンミン蝉の鳴き声を聴きました
 裁判の方は前回(60回コラム)報告したとうりであり、まだ新しい動きはありません。それで、裁判を離れて書くことにします。

 札幌拘置支所は、夏季期間中は外窓が開けられますので、居室にいても外の物音が聞こえてきます。この夏も8月に入ると蝉の鳴き声が聞こえてきました。今はもう蝉は鳴いていませんが。

 8月17日のことですが、私は自分の耳を疑いました。ミンミン蝉の鳴き声が聞こえてきたからです。それまではここでは一度も聞いたことがありませんでしたから、私はミンミン蝉は北海道には生息していないのだと思い込んでいたのです。

 この声を聞いて、2年前の中庭運動時に、職員が捕まえて見せてくれた蝉は、ミンミン蝉だったのだと思ったのでした。当時は、蝉の体がやや緑色をしていたので、「ミンミン蝉のようだが…」と思ったものの、北海道には生息していないと思っていたし、子供の頃にもミンミン蝉はわずか1度しか捕まえたことがなくて自信がなかったため、「謎の蝉」という見方になっていたのです。

 ミンミン蝉の声を聴いたことを職員に話してみたところ、職員もよくは分らなかったのですが、「子供の頃は北海道にはカブト虫はいなかったけど、現在ではいるからね」と言ってました。きっと、ミンミン蝉も気温が上昇しているために本州から北海道へも渡ってきたのでしょう。

 子供の頃、クマゼミは高い木に登って何匹か捕まえたことがありました。ツクツクボウシはもっと多く捕まえました。アブラゼミとニイニイゼミはありふれた蝉なので、価値は低かった蝉でした。一番珍しく価値の高い蝉がミンミン蝉でした。鳴き声は時々聞いていましたし、見上げて姿を見ることもあったけど、捕まえたのは一度だけでした。

 この8月17日以降は、他の蝉も含めて蝉の声は聞いていません。蝉たちは子孫を残して一生を終えたのですね。

中庭運動時にトノサマバッタを40数年ぶりに見ました。
 8月26日の中庭運動時、職員がバッタを見つけて壁際に追い詰めたので、私も車椅子から降りて10数歩歩いて、バッタを観察しました。50センチ位の近い距離です。そこには懐かしいトノサマバッタの姿がありました。かなり弱っているように見えましたが、7センチ位もある大きなトノサマバッタでした。職員が帽子で捕まえようとしたのですが、うまく逃げられてしまいました。

 私は一昨年までは筋肉障害もなく、ちゃんと歩くことが出来ていましたから、この中庭運動時も昆虫を探してかなり歩き回ったものです。でも、この14年間で1.5センチ位の小さなバッタは見ましたが、大きなバッタは一匹もいませんでした。もちろんトノサマバッタも。きっと、高い塀を飛び越えてこの中庭にやってきたトノサマバッタなのでしょう。来年以降、増えてくれると嬉しいのですが。

 トノサマバッタは、短い草が生えた地面が見える場所に生息しているのです。多治見の家の裏山の運動場横の原っぱにも、トノサマバッタはいました。飛ぶ時の羽の色が青と黄の2色でとてもきれいなので、「バッタの王様」として子供たちの人気を集めていました。もちろん大きいことも理由です。

 私は小学生の頃は、市内のあちこちへ、遠くは多治見市の西の瑞まで昆虫を求めて出掛けていました。そんなことから、トノサマバッタが川向うの多治見北高のグランド横の原っぱには多くいることを知っていました。

 小学校4年か5年の時、そこへ家族揃ってバッタ捕りに出掛けたことがありました(北高横の修道院の庭の蝉捕りも目的でした)。父も童心に帰り、私と一緒になってトノサマバッタを追いかけ何匹も捕まえたものです。私たちは得意になって母に見せてあげたのですが、母は怖がっていて、それも可笑しかったのでした。

 私は中庭でトノサマバッタを見て、遠い日のこんなことを思い出していました。大好きな父と母は、今は私の心の中で生きています。

●夏の日の雨に昔を思い出しました
 真夏日が続いた8月初旬の頃だったかと思いますが、やや強めの雨が降っていたときに、それを眺め雨音を聴いていたら、「今のこのいい気持ちと同じ気持ちになったことが昔にもあったな―」と、懐かしい感情が湧いてきたのでした。それで、私はどういう状況であったのかと思い出したくて、夏の雨の日のことをいろいろ思い起こしてみたのでした。大学時代の岐阜での生活です。

 これだとぴったり合うものはなかったのですが、私は大学3年(1970年)の時、ひとシーズンだけ大学の水泳クラブに入りました。夏休みでしたが、雨が降っている中で一人で泳いでみたいと思って、アパートから学校のプールへ行って泳いだことがありました。鍵の場所は分っていました。誰もいないプールでのびのびと泳いだのですが、爽快感があり幸せな気持ちになったものです。「この時のことなのかなー」とも思いました。

 あるいは場所は定かではないのですが、彼女と雨の中を傘をさして歩いたこともありました。私の正木アパートの近くや長良北町あるいは美江寺公園近辺とかです。彼女は藍色の傘でした。そのときに感じた気持なのかもしれないとも思いました。

 2014年札幌の夏は去りつつあります。良い思い出は決して過去のものではなく、現在そして将来の私の生活の糧になってくれます。

2014年9月6日記
大森勝久
Top      コラム欄の目次
  

北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)