北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第51回 「発見リン止めネジ」のすり替え―隠さ
れた中島鑑定書(2013年11月4日記)
「発見リン止めネジ」のすり替え―隠された中島鑑定書
●8月21日付中島鑑定書には、「目立ったドライバー痕はない」旨の記載がある
 「発見リン止めネジ」の鑑定書は次の3つがあります。
(1)8月21日付中島鑑定書。8月16日から18日に実施。本実氏との共同鑑定書。未請求。未開示。
(2)8月29日付中島鑑定書。8月28日に実施。証拠採用。
(3)9月13日付吉村鑑定書。9月9日から13日に実施。証拠採用。
 中島氏は道警犯罪科学研究所の吏員です。吉村氏はリズム時計益子工場の工場長です。

 読者の皆さんは、一番最初に鑑定した(1)の鑑定書が、証拠請求されなかったことに不可解さを感じられるでしょう。中島氏は1審48回公判の検察官の主尋問では、(1)の鑑定書の存在を伏せていたのです。反対尋問で弁護人に追及されて、その存在をはじめて明らかにしたのでした。

 (1)が証拠請求されなかったのには、明確な理由があります。その鑑定書には、「ネジのドライバー溝には、ドライバーで付いた目立った傷は見受けられない」といったような記載があるはずなのです。第50回コラムで書きましたように、(3)の鑑定書には、「発見リン止めネジ」の特徴として、「ドライバー溝の片側に1ヶ所、反対側に2ヶ所、計3ヶ所にドライバーで付いた傷(ドライバー痕)がある」と記載されているのです。(1)を証拠請求したら、「発見リン止めネジ」がその後にすり替えられたことが明白になってしまいます。それで検察官は請求しなかったのです。

 捜査の実質的な指揮官であった石原警視が、8月10日に捏造した「発見リン止めネジ」を、さらに傷の付いたネジにすり替えたのは、8月23日から8月25日の午後2時の間です(この点については、第50回コラムを参照してください)。つまり、(1)の8月21日付鑑定書は、既に検察庁へそのコピーが送られてしまっていたのだと判断できます。もし、送る前であれば、石原警視は中島氏に命じて、鑑定書を「3ヶ所に傷がある」と改ざんさせたでしょう。

●8月29日付中島鑑定書と中島証言から判ってくること
 鶴原警部補が、石原警視から(すり替えられた)766番の「発見リン止めネジ」と「捜査照会書」を渡されたのは、8月25日午後2時頃です。彼は札幌を発ち翌26日、栃木県にあるリズム時計益子工場で、吉村工場長にネジの簡易検査をしてもらい、すぐにドライバー溝に傷が付いていることを告げられ、彼自身も見て確認しました。鶴原警部補は、吉村氏が作成した「捜査照会回答書」(当然ドライバー痕にも触れられている)を持って、翌27日に札幌に戻り、石原警視に提出したことになります。

 中島氏が8月28日に、この766番のネジの鑑定を実施します。(2)の鑑定です。彼は8月29日付の鑑定書を作成したのですが、そこではドライバー痕(有無や形状)については一切触れられていないのです。吉村「回答書」もあるのに、です。これは、どういうことでしょう。私は次のように、合理的に推理しています。

 「発見リン止めネジ」に傷がついていなければマズイことに気がついた石原警視は、まず(1)の鑑定書を実施した中島氏に、「ネジをすり替える必要があること」を告げ、この証拠の偽造方針に従うことを命じて、中島氏の同意を取りつけたのです。それから766番のネジを用意して、鶴原氏を益子工場へ派遣したのでした。石原警視と中島氏は話し合って、(2)の8月29日付鑑定書には、傷については一切触れないことにし、裁判では、中島氏からは(1)の鑑定書の存在は、進んで明らかにはしない(伏せる)ことにしたのです。

 その理由はこうです。(1)の鑑定書は目立つ傷がついていないことが記載されており、かつ化学分野の検査(ネジに除草剤付着があるか否か)を担当した、本実氏との共同鑑定書になっています。その本実氏は、私が8月7日に市内のゴミステーションに投棄したダンボール箱に入った37点の混合火薬製造用具(ビニールシート、カーテン、軍手等)に、「除草剤付着の反応があった」という「捏造鑑定書を作成すること」を、石原氏から命じられたものの、拒んだ人です。8月20日頃です(そのため石原氏は、山平氏に除草剤付着の捏造鑑定書の作成を命じたのでした)。

 (1)の鑑定書の存在は、ひょっとしたら本実氏の別の証人尋問の機会に、明らかになってしまうかもしれません。そして裁判所が「開示命令」を出すこともありえます。もしそうなった場合、(2)の鑑定書に「3ヶ所に傷がある」と書いてあると、(1)との矛盾から、「すり替え」が分かってしまうのです。

 中島氏は1審48回公判で、(2)の鑑定書について尋問されました。弁護人から「(8月28日に鑑定したネジと法廷に出ているネジが)全く同じかどうかというのは、何かそれなりに調べたりした特徴があるというようなことは言えるんですか」と質問されると、彼は「全く同じであるということはとくに印でもつけない限り、そのへんは」と答え、さらに「今、法廷で見せられたものを見て、どこか特徴が一致しているから同じだというようなことは言えないんですか」と問われても、「そこになると、ちょっとはっきり言えないですね」と答えています。

 中島氏の証言が嘘であることは明白です。吉村工場長は49回公判で、検察官から(3)の鑑定書について、「(ネジに)何か特徴がありますか」と質問されると、ネジを見てすぐに、「ドライバー溝のところに3ヶ所傷がついているところが見覚えがあります」と答えているのです。中島氏が意識して、「特徴のある3ヶ所の傷がついている」と言わないようにしていることが、ありありと見てとれます。全くの嘘で不自然極まりない証言ですが、それは、もし(1)の鑑定書が法廷に出されることになったときにも、すぐに「明らかに矛盾しており、ネジはすり替えられた」と言われないようにするためであったのです。

 そして検察官も、すり替えられたことを認識していますから、中島氏に「ドライバー溝の傷」について尋問するのを避けたのでした。「証拠の偽造」は犯罪ですが、検察官はそれを受け入れ、道警を支援していったのでした。

●「ネジすり替え」の事実が、「発見押収」自体が捏造であることを証明する
 以上のように、「発見リン止めネジ」は(1)の鑑定後に、3ヶ所に傷がついている766番のネジにすり替えられました。そしてここが重要ですが、8月10日のリン止めネジの「発見押収」が、もし真実であれば、道警はすり替えることは考えることすらしませんから、「すり替え」の事実=「発見押収」も捏造、ということなのです。これは、検察官も認識していることです。

 私たち本再審請求書で、(1)の中島鑑定書の「開示」を裁判所に要求していきます。

2013年11月4日記
大森勝久
Top      コラム欄の目次
  

北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)