北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第50回 捏造「発見押収ネジ」を更にすり替えた警察 (2013年
10月4日記)
捏造「発見押収ネジ」を更にすり替えた警察
●8月10日、捏造した「発見押収ネジ」には傷はなかった
 今回は「補充書(一)」の5つ目の小見出し(5節)、「ネジのすり替え、ないし工作」について、私の言葉で説明していきます。

 北海道警察は、犯人の元にリン止めネジ2本が残されたことを捜査で把握していましたから、私を逮捕した8月10日の家宅捜索で、リン止めネジの「発見押収」を演出するために、市内でシチズンの旅行用時計を購入してリン止めネジをはずして、里警部に持たせたのでした。里警部は、居室に残されていた布団袋の中から「発見」されたように演技をしたのです。

 道警(石原警視ら)はここでミスを犯しました。「新品の傷のないリン止めネジ」を使用したことです。里警部は1審46回公判で、自分が「発見押収」したネジについて、「まあ、これに固有の特徴というものは無いと思いますけど」と証言したのです。この証言は、肉眼で確認できるような傷はなかったことを如実に示しているものです。

 里警部は当然のことですが、押収したネジをその場でよく観察します。なぜならば後日に、法廷でネジの「発見状況」やどんなネジであったかを証言することになることが分かっているからです。

 7月から東京へ出て姿を隠していた私が、札幌のN氏宅の2階の間借りしていた居室に戻ったのは8月6日の午後4時頃でした。私は8月6日の夜と、7日は朝から「物」を投棄し始めます。道警は、私が7日に投棄した3つのダンボール箱をすぐに押収します。中身を検分して、混合火薬を製造する器具などがあったために、道警は7日の午後に初めて、私に「道庁爆破の容疑」をかけたのです。私は8日の午後1時には、質屋へ行き、引越すのでテレビ、ミキサーを買ってもらえないかを尋ねています。道警はその直後に、質屋の人からそのことを聞きだし、私がアパート(間借り)を出てすぐに道外へ逃げるのだと判断しましたから、慌てて逮捕状請求の準備をしていきました。道警は8日の午後2時10分には、私が8月6日の夜に投棄した茶箱に入ったイオウ(混合火薬の材料のひとつ)と消火器2本を、幌見峠で発見・押収しました。

 このように事態が急展開したために、道警は慌ててしまい、「リン止めネジの発見押収」(捏造)に関して、十分考えることができなくて、新品の傷の付いてないネジを里警部に渡してしまったのだといえます。

 「発見押収ネジ」には傷は付いていなかったことを証言したのは、里警部だけではありません。鶴原警部補ら3人は8月15日、「発見押収ネジ」を持って市内の徳永時計店へ行き、「押収ネジ」がぴったりはまったシチズンの2種類の時計のリン止めネジと押収ネジを肉眼で比較対照しています(第49回コラム参照)。ネジの頭のドライバー溝の形状も当然比較対照しますから、もしそこにすぐ分かるドライバーによる傷(ドライバー痕)が付いていれば、その傷に気付くことになります。しかし3人とも、傷があるとの認識は持ちませんでした。「発見押収ネジ」には、傷は付いていなかったのです。

●8月26日益子工場へ持っていった766番のネジは、すり替えられた傷がついたネジである
 「発見押収ネジ」として、証拠になっている(検)「766番のネジ」には、傷がついています。シチズンの時計を製造している栃木県にある「リズム時計益子工場」の工場長の吉村氏は、8月26日に鶴原警部補が持ってきた「ネジ」を見て、すぐに「こういう傷がドライバー溝についています」と鶴原氏に告げています。鶴原氏が傷について認識したのは、この時が初めてです(鶴原氏の47回公判証言)。

 吉村氏はその後、9月9日から13日にかけてもう1回鑑定をしています。その時の9月13日付鑑定書に書かれているのですが、ドライバーによる傷(ドライバー痕)は、ネジのドライバー溝の片方に1ヶ所、反対側に2ヶ所、計3ヶ所に付いています。肉眼でもすぐ分かる傷です。

 鶴原氏は47回公判で、肉眼で証拠品の「766番のネジ」を見て、すぐに「(傷)あります」と証言しています。「ネジのドライバーの溝に傷がグッとあるのですけれども」とも表現しています(9827丁)。

 証拠になっている「766番のネジ」は、「発見押収ネジ」ではありません。その後に、道警によってすり替えられたネジです。2重の証拠の捏造がなされたのでした。

 道警は8月16日から18日にかけて、この「発見押収ネジ」を道警犯罪科学研究所の中島氏に精密測定させています。

 その後道警(石原警視)は、より効果的な演出を狙って、「益子工場」で検査をしてもらうことを考えるのですが、石原警視はこの時に、「発見押収ネジ」に傷が付いていないのはまずいことに気がついたのです。

 時限装置をつくるとき、時計のリンをはずしてその内部に工作をします。リード線を下板止めネジにくくりつけ、あげバネが下った所に、あげバネと接触するように電極となる金属片を設置します。しかし、これらの工作が終わったらリンをかぶせて、全て終了とはなりません。爆弾は持ち運びしますから、振動が加わった後でも、前記工作がおかしくなっていないかをチェックするために、再びリンをはずして中を見てみなくてはなりません。つまり、リンの脱着は何回かくりかえされますので、リン止めネジも何回か脱着されるのです。当然、リン止めネジのドライバー溝には、ドライバーによる傷がつくことになります。

 本件時限装置では、リン止めネジの代わりにケース止めネジが流用されていましたが、そうなったのも、日を置いてリンの脱着が何回か繰り返されたがゆえに、そうなったわけです。

 それで石原警視は、ドライバー痕が付いているリン止めネジを探したか、「発見押収ネジ」にドライバーで傷をつけて、それを「766番のネジ」にして、鶴原警部補に持たせて、益子工場へ派遣したのです。

 鶴原氏が、石原警視から「益子工場へ行って検査をしてもらってこい」と指示をされたのは、8月23日です。月曜日です。しかし、鶴原氏がネジを渡されたのは、8月25日の午後2時頃です。急ぐ検査であり、平日であり益子工場は休みではないのに、2日の時間が余計にかかっているのは、この間に「スリ替え」がなされたことを示しています。

 8月10日の「発見押収」が真実であれば、たとえ肉眼で分かるような傷はなくても、リンからはずされたことは確かですから、傷が付いたネジにすり替えることはありえません。傷のあるネジにすり替えたことが、あるいは押収ネジに傷を付けたことが、8月10日の「発見押収」が捏造である証拠なのです。

 「すり替え」については、第51回コラムでもう少し書くことにします。

2013年10月4日記
大森勝久
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