北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

第82回 裁判官は科学的に証拠を分析評価していません
(2016年5月15日記)
第82回 裁判官は科学的に証拠を分析評価していません
●「ねじの傷」についての「原決定」の認定を批判します
  原決定(札幌地裁)は「そもそも里及び中島は確定審の公判において本件ネジの傷の有無について質問されておらず、傷がないと証言したわけではない。また、仮に両名が傷の存在に気付かなかったとしても、傷がドライバー溝に付いた極めて小さいものであることに鑑みれば、そのことが不自然であるとは言えない。さらに、中島鑑定書及び昭和51年8月29日付け鑑定書(確定第1審検201)の各鑑定事項は、本件ネジの製品名、用途、爆破現場の遺留品との関係等であり、傷の有無に着目したものではなかったことに照らせば、上記鑑定書が傷の存在に言及していないことが不自然であるとは言えない」と認定しました。
  この認定を批判します。

  @里警部は、弁護人の「あなたが押収したというネジですが(…)それは別にこのネジ自体に特徴があって見覚えがある、ということではないんでしょう」の質問に、「まあ、これに固有の特徴というのはないと思いますけれども」と答えたのです。それに続く弁護人の「つまり、あなたが押収したのと、今法廷で見ているのとは、形と色などが似てて、同種類ということが言えるんでしょう」の質問に、彼は「これはもう、マイナスネジであり、大きさといい、これは当時私がよく確認していますので、これに間違いないというふうに思います」と答えています(46回公判、9752丁)。たしかに弁護人は、(検)766番のネジに傷が付いていることを認識していなくて質問をしています。しかし里氏の答えは事実上、「私が発見押収したネジには傷はついていませんでした」と述べたのと同じ内容になっているのです。彼は押収時にネジを「よく確認して」いるのです。

  A中島氏も、弁護人から「全く同じかどうかというのは、何かそれなりに調べたりした特徴があるというようなことは言えるんですか」と質問されて、「全く同じであるということはとくに印でもつけない限り、そのへんは」と答えています。弁護人が「今、法廷で見せられたものを見て、どこか特徴が一致しているから同じだというようなことは言えないんですか」と問うと、彼は「そこになりますと、ちょっとはっきり言えないんですね」と答えたのでした(48回公判、9872丁〜73丁)。つまり中島氏も事実上、「ネジには傷は付いていませんでした(だからここにあるネジが以前私が鑑定したネジと同じだと根拠を示して言うことはできません)」と答えたのと同じ内容を証言しているのです。
  なお、検察官は8月10日の「発見ネジ」が、後に傷のついたネジ(検766番のネジ)にすり替えられたことを認識していますので、里氏と中島氏には傷に関する質問を意識的にしなかったのでした。

  Bリズム時計益子工場長の吉村氏は、8月26日と9月13日の2回、ネジの検査と鑑定をしています。吉村氏は49回公判で、9月13日付け鑑定書について証人尋問されました。吉村氏は検察官から(検)766番のネジを示されて、「そのネジに見覚えがありますか」と質問されると、「このドライバー溝のところに傷のついているところが見覚えがあります」と答えました(49回公判、9892丁)。この鑑定の「鑑定事項」には、「ねじのドライバー溝の傷の有無」はありませんが、吉村氏は鑑定書に添付した「検定検査結果通知表」の中で、「資料ネジのドライバー溝にはネジしめされた際のドライバーキズがついている」と明記しています。ドライバー溝にドライバー傷があるかどうかは、そのネジが工作していたものであることを裏付ける重要な証拠になるものですから、鑑定者は必ずそこをチェックするのです。

  C新証拠の中島氏の8月21日付け共同鑑定書には、10倍に拡大したネジの投影図2つ(ネジ頭を正面から見たものと、ネジのドライバー溝が見える真横から見た図の2つ)が描かれていますが、ドライバー溝のドライバー傷については何も書かれていません。「その他参考になるべき事項」という鑑定事項にも、傷に関するものは全くありません。中島氏もドライバー傷がついているかをチェックしたことは、言うまでもないことです。しかし傷はついていなかったから、こういう鑑定書となったのです。中島氏のAの証言と併せてみれば、8月21日付け鑑定書は「傷がついていないネジ」であったことを明確にした鑑定書であることが明らかです。まさしく刑訴法435条〔再審を許す判決・再審の理由〕の第六号の無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」です。

  D里氏の@の証言と中島氏のAの証言とCの中島鑑定書によって、8月10日に「発見押収」されたネジにはドライバー傷は付いていなかったことが分かります。しかしBの吉村氏の鑑定書では、ネジには傷がついているのです。つまりCの中島鑑定書作成後にネジがすり替えられたことが証拠によって証明されています。

  このことは47回公判の鶴巻警部補の証言によっても裏付けられています。鶴巻氏はリズム時計益子工場でネジの検査をしてもらうために、8月24日に石原警視からネジを渡されて札幌を発ちました。8月26日に検査が行われたのですが、吉村氏はネジを見てすぐに「傷があること」を指摘しました。鶴巻氏もその場で見て傷を確認したのでした。鶴巻氏がネジの傷を認識したのはこの時がはじめてだったのです(第47回公判、9827丁)。鶴巻氏は8月15日に「発見ネジ」を持参して札幌市内の徳永時計店への聞き込みをしています。その時にもネジをよく観察しているのですが、傷があるとは認識していませんでした。つまり、彼が8月24日に渡されたネジはすり替えられた傷のあるネジ(検766番のネジ)だったのです。

  E(検)766番のネジの傷は肉眼でも十分に確認できる程の傷です。鶴巻氏は公判で検察官から、「それで今この法廷でお見せしましたね。このネジを。あなたの記憶にあるそのドライバー傷といいますか、それはありますか」と質問されると、肉眼でネジを見て、すぐに「あります」と答えたのでした(47回公判、9827丁)。傷は素人でも肉眼ですぐに分かるものなのです。3ヶ所に傷がついています。原決定はDとEの鶴巻氏の証言を無視しています。

  @からEで原決定の誤りは明白です。事態の展開が急激すぎて、石原警視は考える余裕もなく慌ててしまって、傷を付けることまで頭が回らずに「発見ネジ」をねつ造させてしまったのです。そして益子工場で検査をしてもらう段になって石原氏はそのミスに気付き、傷をつけた別のネジとすり替えて、それを「発見ネジ」だとして鶴原氏に渡して益子工場へ送り出したのでした。

●裁判官の「思い」と思考を分析してみましょう
  証拠の分析評価をもし科学的に行うならば、前述したような評価になりますから、裁判官は科学的な証拠評価をしていません。非科学的に行っています。

  一般的なことを言いますが、ほとんどの人間は自分の「思い」に規定される形で、対象の分析評価をしてしまうものです。つまり「思い」に合致するように対象を分析評価してしまいます。「思い」に反するような分析評価は、自然に思考を停止してしまいますから、そのような分析評価はしなくなります。つまりほとんどの人は都合のいいようにしか分析評価しないのです。非科学的に分析評価しているということです。私は以前は反日左翼でした。私は反日左翼としての「思い」に規定されて、日本の政治(外交、内政)について否定的にしか分析評価できませんでした。

  科学的に分析評価するということは、今の自分の「思い」とそれを生み出している考え方に対しても、批判的に検証していく姿勢を持つということです。これは大変困難なことなのです。

  刑事訴訟法は裁判官に証拠の評価を公正に行うこと、つまり証拠を科学的に分析評価することを命じています。しかしこれはほとんど実行されていないと思います。ほとんどの裁判官も自分の「思い」に規定されて都合のいいようにしか証拠の分析評価を行っていないと私は思っています。

  本件においては、私は1審において道庁爆破を何度も支持する意見陳述をしました。その他の反日の意見陳述も何度も行いました。裁判官はそういう私を見て、「大森被告が犯人に違いない」と思ったのです。裁判官はこの「思い」に規定されて、それに合致するように証拠の分析評価をしていったのでした。だからでたらめな証拠評価になっています。刑訴法違反です。「思い」に反するような証拠の分析評価は、自然に思考を停止してしまいますからなされません。

  再審請求においては、既に確定した判決と(旧証拠評価にもとづく)事実認定があります。裁判官は確定した判決と事実認定に規定されることになります。これに規定されて、新証拠の分析評価は行われていきます。だから冒頭に示したような「認定」になるのです。私が前記@ACDEで分析評価したことは、裁判官は思考を停止してしまうので、頭の中には存在しないのです。私たちが即時抗告申立書とその補充書でこれらを主張しても、裁判官の「思い」(確定判決とその事実認定)に反するものですから、裁判官はそれらを検討してみることはしません。思考停止になりますから、すぐに排斥してしまうのです。

  裁判官のこういう意識状態と思考状態は中身は異なりますが、反日左翼の意識状態と思考状態つまり洗脳状態と同じ状態なのです。だから、裁判官の証拠評価を変えることは至難の業なのです。

2016年5月15日記
大森勝久
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