第81回 札幌地方裁判所は3月28日、不公正な裁判で再審請求を棄却しました
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●再審請求棄却決定と即時抗告申立て(3月31日)
田尻克己裁判長裁判官、今井理裁判官、貝阿彌健裁判官の札幌地裁刑事第1部は3月28日午後1時、再審請求を棄却する決定を行いました。「決定書」は同日1時に私にも届きました。37頁のものです。ひどい内容の一言です。
弁護人は3月31日付の「即時抗告申立書」を札幌高裁へ提出しました。52頁のものです。即時抗告期間は初日を含めず3日間なので、3月31日に提出することになりました。10人の弁護人です。今後「補充書」も提出していくことになります。私も「即時抗告申立て補充書」を書くことにします。
●決定書の「明白性」判断は誤りだらけです
(1)山平新証言(第1次再審第1審。2004年9月)の証拠価値についての判断
決定書は、「山平新証言には少なからず山平旧証言との食い違いがみられるが、時間経過によって生じた記憶の変容による変遷として理解できるところであり、山平新証言には、山平水溶液分析の存否の判断に当たって直接の根拠になりうるような証拠価値はないというべきである」(14頁)と判断して、山平新証言を排斥してしまいました。
山平氏は新証言で次のように証言していました。
@ビニールシートやカーテン地などの資料は8月9日に「科研」に届きました。私は本実氏らが手分けして検査の準備をしていたのを見ています。
A本実氏らがビニールシートの一部を切り取っているのも見ています。私は一切切り取っていません。
B私は8月9日以降は一切検査にタッチしていません。私以外の人がやっています。
C「山平電話通信用紙」の「添付別紙」の「一覧表」に書かれている検査結果は、2時までにすべて終えています。
いずれも山平旧証言と根底的に異なっています。旧証言では@は、ビニールシートやカーテン地などの資料は全て8月8日日曜日に届いたのであり、山平氏一人で検査をしたのでした。他の人は日曜日なので出てきてなかった。Aも、山平氏が警備課長の許可をとって8日にビニールシートの一部を切り取ったのです。Bは、山平氏一人で8月8日から8月20日まで連日検査をしたと証言されていました。Cの点は、ビニールシートやカーテン地と軍手の3点から塩素酸イオンを検出して8日午後2時30分に電話で中間報告を行い、その後も8日の夕方まで検査を続けて、その結果をまとめたのが「一覧表」ですと証言されていました。
@〜Cは鑑定の核心的な事柄です。そして山平氏は道庁事件で鑑定をしたのは1回だけだと言っていましたから、鑑定から28年が経過しても、本当に鑑定を行っているのであればこのように決定的に変わってしまうことをあり得ません。
しかも道警はその約2年前の2002年11月29日に「予備実験」をするのですが、山平氏はこの前に道警に呼ばれて、鑑定のことをいろいろ尋ねられています。道警は山平氏から訊いた上で「予備実験」を実施したのです。山平氏はこの実験前に検察庁にも呼ばれて訊かれています。山平氏の鑑定書も電話通信用紙も山平旧証言調書も道警と検察庁に有ります。道警も検事もいろいろ伝えたでしょう。山平氏は新証言の直前にも検察庁に呼ばれているのです。だから山平氏は旧証言の内容も電話通信用紙や鑑定書の内容も十分に把握した上で、@〜Cの新証言をしたのです。疑いの余地はありません。
山平氏がこうした新証言をした目的は、山平鑑定の信用性を徹底的に否定するためです。「山平鑑定の不存在」(つまりねつ造)を明らかにするためです。このことは論理の必然的帰結として導き出せることです。山平氏はその気になれば旧証言どうりに証言することができたのですが、@〜Cの新証言をしたのです。
山平氏は旧証言においても間接的に、「山平鑑定は不存在」を訴えていたのですが、裁判所は逆の認定をしてしまったのでした。たとえば、ビニールシート、カーテン地など32点は「指紋検出の資料」にもなっていましたから、指紋検出をまずやり、その後に化学鑑定をすることになる資料です。指紋検出は8月9日でしたから、この32点は8日には「科研」には持ち込まれていないのです。山平氏は旧証言では8日に科研に来たと虚偽の証言をして、間接的に「山平鑑定不存在」を訴えようとしたのでした。山平氏はその他にも虚偽を証言することで「山平鑑定不存在」を訴えていました。しかし裁判所は正しい判断が出来なかったのです。
それゆえ山平氏は新証言で、ビニールシートやカーテン地等は9日に科研に届けられて、鑑定をしたのは本実氏らであったという真実を明らかにしたのでした。@〜Bです。本当にビニールシートとカーテン地から除草剤付着のイオン反応が出ていれば、本実氏らの名義で鑑定書が作成されています。だが付着反応はなかったのでした。石原警視は、本実氏らに「ねつ造鑑定書」を作成することを促したのでしょうが、拒まれたのです。それで石原警視は、一切鑑定にタッチしていなかった山平氏に白羽の矢を立てたのでした。
札幌地裁は、山平新証言の証拠価値を認めると、「山平鑑定不存在」になってしまうので、「時間経過によって生じた記憶の変容」だとして証拠価値を全面否定して、排除してしまったのです。公正な裁判の否定です。
山平新証言のCですが、「山平電話通信用紙」の体裁と完全に一致しています。20点の鑑定資料について、それぞれ別々に付着物を採取して、濃縮して、そして9つの溶液内検査項目を2時までに終了さすことは物理的に不可能です。山平氏は山平鑑定がねつ造であることを明らかにしようとして、こういう「山平電話通信用紙」を作成したのでした(控訴審です)。
(2)発見リン止めネジはねつ造されたものとの主張に対する決定書の判断
私たちは、道警は犯人のもとにリン止めネジ2本が残ったことを早くから認識していたから、8月10日のリン止めネジの発見が真実ならば、すぐにそれと手持ちのシチズンの旅行用時計のリン止めネジとの比較鑑定をすべきなのに、道警が8月15日の時計店への聞き込みから捜査を始めたのは、発見ネジが何に使われるネジなのか知らなったと装うためであり、装ったのは、発見ネジをねつ造したからだ、と主張したのでした。
これらに対して決定書は、「本件ネジがツーリスト024独自の規格であるか否かは、その証拠価値にかかわる重要な事項であるから、捜査機関がこの点について慎重に捜査を遂げるのは当然のことであって、不自然であるとはいえない」(36〜37頁)と判断して、私たちの主張と新証拠の明白性を否定しました。
しかし道警は、シチズントラベルウォッチのリン止めネジはツーリスト024もスピネットもその他の57のすべての機種で同一であり、かつ他社のトラベルウォッチのリン止めネジとは異なる規格であることを、事件後まもなく、つまり4月には捜査で把握していたのです。
札幌地裁は私たちの主張、新証拠を認めると、「発見リン止めネジ」はねつ造であることになってしまうため、決定書のようなでたらめな判断をしたのです。公正な裁判の否定です。
2016年4月4日記
大森勝久
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