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●道庁爆破事件と逮捕から40年を経て
今回は趣を変えて、主として保守派の人々に向けて書いてみたいと思います。
私は前半の20年間とその前の6、7年間を含めて、反日主義者として根本的に誤った生き方と戦いをしてきてしまいました。私は自己検証を続けてきたのですが、一気に変わったのではもちろんありませんが、信じた反日共産主義思想が実は必然的に独裁国家を作り出す思想であり、日本に対する侵略思想であることを認識できるようになって、洗脳状態から脱却することができました。そして「法の支配」を厳守する真正な自由主義である保守主義の立場に立つことになりました。今から約19年前のことになります。
私は自らの誤った生き方と戦いの反省も込めて、これからも一人の保守主義者として、日本を正常な国家に立て直し永続させていくために戦っていこうと思っています。私はこれからも、客観的機能としては侵略国家のロシア・中共・北朝鮮の尖兵である様々な反日共産主義勢力(日共系、旧社会党・社民党系、新左翼系、その他)を日本の敵ととらえて、思想的に戦っていこうと心に決めています。また反日勢力やロシア、中共、北朝鮮と全く戦うことができない軟弱な自民党などの保守派を厳しく批判して、戦っていこうと思っています。
●当時、道庁爆破を支持したことについて
道庁爆破は反日武装テロでありその思想も完全に誤っています。私はそれを長く支持してきてしまいました。ただただ深く反省しています。
反省するということは、若者を洗脳する革命思想(反日共産主義思想)を思想的に批判し解体していく戦いを実践していくということです。革命思想とは独裁支配者を夢見た「悪の天才」が、若者を騙して革命運動に動員するために作り上げた謀略思想なのです。革命思想は、自由主義国・資本主義国日本に「支配国家」「搾取国家」「侵略国家」等の「虚偽レッテル」を貼り付けて全面否定し、かつ革命後の共産主義社会を「無支配、無搾取、平等の人類が解放された社会」という「虚偽スローガン」をもって美化し理想化することで、若者を洗脳して革命に動員するのです。洗脳とは騙すことです。
若者(インテリ)は理想に燃え、しかし知識量は乏しく、だから思考能力は低いわけですから、革命思想が絶好のターゲットにするのです。革命思想は若者の善意を利用して、前記の虚偽レッテルやスローガンで洗脳します。洗脳されると、主観的には善・正義の意識で客観的には悪を実践していくことになります。すなわち「侵略・支配・収奪・搾取の悪の日本国家を解体し滅ぼし、被抑圧民族や人民を解放して、共産主義社会を建設していくのだ」と信じて、日本に対する侵略戦(反日革命運動)を実行していくことになるのです。そこで客観的になされていることは、日本の破壊であり、日本の国防を否定してロシアや中共や北朝鮮に日本を武力侵略させようとすることであり、そうすることで日本を占領し亡ぼして自由ゼロの独裁国家を誕生させていくことです。
革命思想(共産主義)というのはまさしく「悪魔の思想」であり、人類史上最悪の謀略思想です。騙しによって、善と悪を逆転させてしまうのです。私もこれに洗脳されてしまいました。主観的善意に基づき、客観的には悪を実践していました。ひとたび洗脳されてしまうと脱却はほとんど困難であり、私の場合は例外ケースです。私は若者を革命思想(反日共産主義思想)の毒牙から守り、日本を守るために、革命思想を解体するために戦っていこうと思います。
●再審請求審について
北海道警察は8月10日に、私を別件の爆発物取締罰則第3条違反容疑で逮捕し、9月1日に本件の道庁爆破容疑で再逮捕しました。しかし道警は証拠をねつ造することで初めて私を逮捕することができたのです。
別件逮捕の方では、「大森の8月7日の投棄物の中に除草剤の付着反応があった軍手があった」というねつ造書類(8月9日付け高山総合捜査報告書)がなければ逮捕はできませんでした。そもそも法律にはない「犯罪要件」(「爆発物の製造器具の所持」)での逮捕だったのです。どの家庭にもある消火器や電池や豆電球(懐中電灯に付いたままのもの)を所持していたとしてです。違法逮捕です。爆取3条では起訴されませんでした。
道庁爆破容疑での逮捕では、道警は別件逮捕中に、発見リン止めネジ、山平除草剤鑑定書、モンタージュ写真、藤井目撃供述調書、金丸コメ印筆跡鑑定書など多くの主要証拠をねつ造して、9月1日に逮捕したのでした。これらのねつ造証拠がなければ、私は逮捕はされませんでした。違法逮捕でした。
しかし道警は、私が8月6日から9日にかけて市内のごみステーションや峠に捨てた物を尾行して押収して(8月7日、8日、9日、12日)、私が反日武装テロをめざしている危険人物であることを認識していました。「道庁爆破の犯人に違いない」とも考えたでしょう(私は犯人ではありませんが)。だけど、これらの真正証拠だけでは逮捕できる法律がありませんでした。もし道警が逮捕しなければ、私はそのまま本州へ逃げ(私は苫小牧フェリーターミナルでフェリーに乗船するために車に乗って並んでいる所を逮捕されました)、姿をくらまして、いずれは反日武装テロを繰り返していったのです。だから道警は日本国家と国民を守るために、法律を犯して前記した証拠をねつ造して私を逮捕していったのだと思います。
反日主義者であった頃の私は、道警の証拠ねつ造を攻撃してデッチ上げ粉砕の裁判闘争を戦っていました。しかし当時の私がめざしていたものは反日武装テロであり、日本に対する侵略の戦いでした。そんな侵略者の私に、道警の証拠ねつ造と違法逮捕を批判する資格がないのは明白です。当時の私の裁判闘争等は誤りでした。
私は反日革命思想が完全に誤っていることを認識できるようになって、愛国者・保守主義者に生まれ変わりました。道庁爆破逮捕に対する考えも全く変わりました。私は逮捕されたことにより、自分の反日武装テロを防いでもらったことになります。また逮捕されずあのまま逃げていれば、私は反日武装テロを実行していくことに心を奪われて、思想を根底から検証する作業は不十分となり、反日共産主義思想の誤りを認識できず、保守主義者へ転生できなかったかもしれません。だから私は道警が多くの証拠をねつ造して違法逮捕したことを恨むこともなくなりました。感謝さえしています。
裁判官も、私の反日武装テロを防ぎ国家と国民を守るために、藤井目撃証言がでっち上げであることは証拠上明白になったのに、証拠排除することなくそれも使うことによって有罪死刑判決を出したのだと思います。藤井証言を排斥したら有罪判決は出せないからです。
本来は政治が、私のような真正な証拠によって反日武装テロをめざしていることがはっきりと分かる人物には、終身刑を科すことができるような法律を整備しておくべきだったのです。もしこの法律整備がされていれば、道警は証拠をねつ造せずとも私を逮捕でき、国家と国民を守ることができたでしょう。
私が言う「法の支配」とは、日本で言われている「法の支配」=「法治主義」とは全く異なる法思想です。古くから伝えられてきた永遠の真理・正義である〈法〉がすべてのものの上位にあり、〈法〉は憲法も政府も国民も支配します。政府と国民は〈法〉を必ず守らなくてはなりません。〈法〉には国際法が含まれます。政府は〈法〉に支配されて外交・軍事、内政をしなければなりません。これが「法の支配」です。
しかし日本の「法治主義」は、政府を最上位存在だとして、法律は政府が作るものだという考えです。だから政府は自らに都合のいい〈法〉に違反している法律を作ったり、法律を無視したりもします。警察が法律を無視して証拠をねつ造して逮捕したり、裁判官がねつ造証拠だと分かっても信用性ある証拠だと評価するのも、これです。一般の刑事裁判でもしばしばなされるのです。私たちはこうした誤った「法治主義」と日本政府と国民の誤った考え方を徹底的に批判し、また自己批判して、正しい「法の支配」が貫かれる立派な日本国家をつくり上げていかなくてはなりません。
さて再審請求審ですが、私は19年前に愛国者・保守主義者に変わり共産主義勢力と戦う側になりました。だから裁判所はこれまでのような政治的配慮はやめて公正な立場で、「発見リン止めネジ」や「山平除草剤鑑定書」や「モンタージュ写真」や「藤井目撃証言」などのねつ造証拠を、証拠排除していく正しい裁判ができるはずです。しかし期待はできませんが。
●検察官が「意見書」(平成28年1月25日)を提出しました
弁護人が平成27年12月22日付で提出した「再審請求補充書(三)」に対する反論として、検察官はわずか3頁の意見書を提出したのでした。核心点について全く反論していない(できない)内容です。
ともあれ裁判所は3月に「決定(判決に当たるもの)」を出すことになります。私たちは札幌高裁に「即時抗告」を申し立てることになります。
2016年2月6日記
大森勝久
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