北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

第75回 北海道の紅葉の思い出 
北海道の紅葉の思い出
●1974年秋国道36号線の紅葉ロードを札幌へ向ってよく走りました
 10月9日(金)は風呂の日でした。窓の隙間(2センチ程)から外の景色を見たのですが、紅葉はまだでした。3連休明けの10月13日(火)は風呂でしたが、紅葉が始まっていました。始まったばかりという状態でしたが、次の風呂の日の16日(金)には紅葉は盛りに入ってきたと思われる程に色があざやかに変わっていました。黄色とだいだい色です。ずっと遠くに見える伏古公園の木々も、黄やだいだい色が3分の1位になっていました。手稲山(千メートルちょっと)が初冠雪しましたから急に冷え込んできたのでしょう。平年より13日早い初冠雪とニュースで言っていました。これから2週間位が一番美しい季節になると思われます。

 ふるさとの多治見や岐阜の紅葉については以前書きました。今回は北海道のことを書いてみたいと思います。多治見や岐阜の紅葉は好きだった人や恋人だった人の思い出と結びついていますから、よく思い出しています。でも北海道ではずっと一人の生活でしたから、紅葉の感動もそんなに深いものにはならなかったといえます。それでも1974年の秋は私は紅葉を楽しむために、何度も苫小牧から札幌へ向って国道36号線を車でドライブしたものです。私は1974年6月末から翌年の6月末まで苫小牧でアパート生活をしていました。

 私はいろいろ調査をする必要があり(土)(日)の2日間を休日にしてもらっていましたので、紅葉が始まる頃から終わりまで天気さえよければ車を札幌へ走らせていました。36号線は千歳市と恵庭市の市街地を除けば両側が森なので、紅葉の中を走る感じでしてとても美しい光景だったのです。

 その他にも目的がありました。ひとつは、当時千歳には米軍基地があり、その近くを走るとカーラジオで基地で流していたラジオ電波が拾えてジャズ、ロック、ソウル、ブルース、カントリー、ポップス、ゴスペルなどの曲が聴けたのでした。私はカーラジオのボリュームを一杯に上げて音楽を聴きながら紅葉ロードを走りました。当時の私は反日左翼でしたから、このような曲を好んで聴いていました。

 もうひとつは、恵庭市を過ぎて「大曲(おおまがり)」という辺りになると、視界が急に開けて遠くに札幌の街がずーと広がって見えてきます。アメリカのような広々とした光景で、私はこの景色を見るのが好きでした。紅葉を眺めながら見ると一層いい気分になったものでした。

 もうひとつは、札幌の「ACT」というジャズ喫茶へ行くことでした。ススキノ横の南3条西5丁目にありました。季節にかかわらずよく行きました。苫小牧にはジャズ喫茶はありませんでした。コカ・コーラかコーヒーを頼んで1時間半以上は居たものです。

 紅葉がピークになったときに江別市にある野幌自然公園へも行きました。長い遊歩道があり黄やだいだい色や赤の紅葉のアーケードを歩きました。森の中にも分け入って行き楽しんだものです。北大のイチョウ並木も見に行きました。

 1975年の秋も車で紅葉を楽しむためにあちらこちら走っていましたが、苫小牧へ向けて走ったのは1度だけだった気がします(この時は札幌に住んでいました)。

 自然の美しさはありますが、それが胸に深く刻み込まれるためには恋人とかの人間関係があることが必要になります。札幌時代(1975年6月末から1976年)よりも苫小牧時代の紅葉の方が印象深いのは、苫小牧時代は青果・鮮魚店の配達の仕事をしていましたから、配達先の王子製紙の女子寮や男子寮やクラブのまかないの若い女性たちや病院の栄養士(女性)たちと顔見知りになり、仕事上の短い挨拶だけでしたがちょっとは人間的な関係があったからだと思います。

 来る10月29日と30日、東京から友人が面会に来てくれます。北大のイチョウ並木と札幌駅前通りの街路樹の紅葉と人波を写真に撮ってくれるようにお願いしてあります。今年はひょっとしたらピークを過ぎてしまうかもしれませんが、なんとかもって欲しいと思っています。

2015年10月18日記
大森勝久
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