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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

第72回 岐阜・夏の長良川 (2015年8月16日記)
岐阜・夏の長良川
 一年間位裁判のことばかりを書いてきたので、今回は別のことを書くことにしました。札幌は7月中旬からは夏日が続いているのですが、その前が涼しかったためでしょう、蝉の鳴き声を初めて聞いたのは8月13日でした。チィゼミでした。今日は16日ですが、鳴き声はその日に聞いただけです。蝉の声を聞くと「夏が来た」という気になる私ですので、今年の夏は残念な思いです。多治見の実家はすぐ裏が小高い山でしたので、一日中蝉しぐれでした。

 大学時代を過した岐阜市でも、アパートのそばが神社で木が多くありましたから、毎日アパートまで蝉の鳴き声が聞こえてきました。アパートの庭の木で鳴くのもいました。南向きの窓からは夏色になった金華山(329m)を 望めました。1.7q程先です。金華山の手前(北側)を長良川が流れています。今回は私がとても好きな写真を4枚掲載してもらうことにしました。

            
 
  (1)の写真↑。長良橋の上流側(東側)の南側堤防のすぐ下の場所から北側を撮ったものです。赤い屋根の屋形船が何艘もあります。小さくて見ずらいですが長良橋の下流の浅い所で多くの人が泳いでいますし、河原にも多くの人がいます。橋脚のところにもかなりの人影が見えます。
  
 (2)の写真(上、右側)。同じ場所から上流方向を撮ったものです。北側に大きいホテルが3つ見えてます。一番左がすぎ山ホテル、一番右がグランドホテルだったと思います。グランドホテルは3つの中では一番新しいホテルです。グランドホテルの真北方向約600mに私の大学・岐阜大学の教育学部と教養部の長良キャンパスがありました。今は全学部の教育・工学・農学・医学部が統合されて長良橋よりかなり下流の場所に移転しています。見える山は百ヶ峰(ももが峰)といい、そのふもとに2年の6月末頃まで入っていた教育学部の男子寮(望峰寮)がありました。

         
 
  (3)の写真↑。長良橋の上から上流方向を撮ったものです。100人以上の人が川に入って遊んでいます。私もよく泳ぎに来たものです。私は大学3年の1年間だけ水泳クラブに入っていました。よく横断したものです。彼女とも2度ここで泳ぎました。当時(1970年)は、ここまで乗り入れてくる車はもっと少なかったですね。これらの写真は岐阜の友人が1983年8月に撮ってくれたものです。1994年7月に同じ所を撮った写真では、誰も泳いでいませんでしたから、遊泳禁止条例が作られたのでしょう。岐阜市は馬鹿なことをしたものです。
  
 (4)の写真(上、右側)。これは長良橋を渡り切って北端から金華山入れた東南方向を撮ったものです。山頂に岐阜城が小さく見えます。山腹(右端)にロープウェイの塔が白く見えています。私はロープウェイには一度しか乗ったことがありません。大学2年の時に数学科一同(29人)で山頂まで行ったときのことです。登山道を歩いて登ったことは3度ありました。1回は彼女と3年生の時ときに。(1)(2)の写真に屋形船が写っていますが、鵜飼(5月〜10月)をするのはこの流域です。アパートからも金華山はこのような姿で遠望できました。

 アパートから街の中心部へ出るときは、バスで長良橋を通ります。1年、2年生の2年間は家庭教師のアルバイトで週2回はバスで通りました。(1)〜(4)は何度も目にしたとても好きな光景です。私はほとんど毎日、冬でもこれらを含めて岐阜の写真を眺めて楽しんでいますが、夏に見る写真はやはり格別です。ふるさとはいいものです。
2015年8月16日記
大森勝久
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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)