警察が行った証拠捏造(「発見ネジ」)をごまかすための演技の捜査
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●8月21日付け鑑定書を作成した中島富士雄氏は「ネジ発見」は完全に疑わしいと認識していました
北海道警察は、北海道庁の現場で収集した爆発物の時限装置(トラベルウォッチ)の分析により、シチズンのトラベルウォッチ「ツーリスト024」であり、ネジの使われ方はリン止めネジ2本の代わりにケース止めネジ2本が使用されていたことから、工作した犯人の元にリン止めネジ2本が残されたこと。シチズンのトラベルウォッチはリズム時計で製造しており、リン止めネジは全てのトラベルウォッチ(何十種類もある)で共通している(同一規格)こと、また他社とは異なっている独自規格であることを、事件(1976年3月2日)から間もなく、すなわち同年の3月か4月には把握していました。
現場物の時限装置の検査や鑑定をしたのは、刑事部犯罪科学研究所吏員の中島富士雄氏です。中島氏は第1審48回公判で前記のことを証言しました。彼は当時シチズンのツーリスト024とあと2種類ほどのシチズンのトラベルウォッチを実際に購入し、また他メーカーのトラベルウォッチも購入して調べています。
実は、道警の幹部(石原警視ら)は、中島氏にこれらのことは証言しないように暗に言ったのです。しかし中島氏は事実を証言していったのでした。中島氏は、8月10日私の居室から発見されたとされるリン止めネジが、完全に疑わしいこと(捏造物)に気付いていたといって間違いありません。中島氏がそう認識したのは、以下に書く石原啓次警視(爆弾捜査本部の捜査の事実上の責任者)が行った、「発見ネジ」(捏造物)をもっともらしく印象付けるための演技の捜査がなされたからです。
●「発見ネジ」が真正なものならば次のような捜査になります
石原警視と高山警部からリン止めネジ1個を渡された里警部は、8月10日(火曜日)午後の私の元居室の家宅捜索・差押えにおいて、布団袋の中にそのネジを紛れ込ませて、「発見押収」を捏造しました。私が札幌市内に投棄した物は、8月7日、8月8日、8月9日、8月10日(午前中)に、尾行をしていた警察がそれぞれ押収しています。道警は日曜日返上で大輪車で活動していました。里警部も8月10日、徹夜して家宅捜索・差押えの「検証差押え調書」を作成しています。
「ネジ発見」がもし真実であれば、爆弾捜査本部(石原氏ら)は8月10日付けで中島氏に鑑定嘱託をすることになります。中島氏は既にシチズンのトラベルウォッチを3個位は所有しています。そのシチズンのリン止めネジと発見ネジを比較させて、シチズンのリン止めネジかどうかの鑑定をさせることになります。8月10日のうちに鑑定結果は出ます。ごく簡単な鑑定です。形状を比較し、寸法を測り比較すればいいだけです。だが、石原警視はこの捜査をしなかったのです。させなかったのでした。
●道警が行った演技の捜査
(1)今回証拠開示された8月21日付け中島氏鑑定書(正確には中島氏と本実氏の共同鑑定書。中島氏は物理、本氏は化学。化学担当の鑑定資料と鑑定事項もあるためです)によれば、鑑定嘱託日は8月10日ではなく8月13日です。鑑定資料は私の居室で里警部が8月10日に押収したネジなど5点です。しかも鑑定資料の「発見ネジ」等は13日には中島氏らに提供されていないのです。ネジ等が提供されるのはなんと8月16日なのです。なによりも、「鑑定事項(2)」は、前記した道警が捜査で得た成果を完全に否定したもの、つまり知らないふりをしたものになっているのです。この点については第70回コラムでより詳しく書くことにします。中島氏らは8月16日から18日にかけて鑑定を行いました。
(2)石原氏は「発見ネジ」について、「8月15日になって、何に使われるネジかを捜査させるため市内の聞込みをさせた」と証言したのでした。8月15日、西川警部をキャップとする鶴原警部補と谷内警部補の3人が「発見ネジ」を持参して、市内の徳永時計店へ聞き込みに行っています。だからこの捜査が終わるまでは、中島氏にはネジは提供されなかったわけです。
徳永時計店の専務が警察が持参したネジを店のトラベルウォッチにはめてみたところ、シチズンの2種類の時計のリン止めネジとピッタリ合ったので、道警はリン止めネジ1個を借りています。またリン止めネジはリズム時計で製造していることを教えられています。ここでこの日の捜査は終えました。持参したネジは爆弾捜査本部に返しています。西川警部は8月15日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回証拠開示された証拠です。
(3)鶴原警部補ともう1人が8月16日、徳永時計店で借りたリン止めネジを持参してリズム時計札幌支店へ赴きます。しかし休業のため、翌17日に改めて訪問して、支店長とたまたま居合わせたリズム時計本社の販売部長に徳永で借りたネジを見せると、リズム時計で作っているトラベルウォッチのリン止めネジと同一のものだと思うと言われます。また59種類のトラベルウォッチのリン止めネジは同一規格だと告げられています。鶴原氏は、支店長からリン止めネジ1個を任意提出してもらっています。本社販売部長から、リン止めネジはリズム時計の益子工場(栃木県)で作っているので、そこで精密検査をすれば、同一であることが確かめられますとも言われています。この日の捜査はここで終了。鶴原氏は8月17日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回開示されたものです。
(4)爆弾捜査本部は、8月17日にリズム時計札幌支店で任意提出をうけたリン止めネジ1個を鑑定資料とする鑑定嘱託を、8月17日付けで犯罪科学研究所の中島氏に対して行っています。鑑定事項は、このネジは8月13日付けで鑑定嘱託したネジ(発見ネジ)と一致しないか。一致するとすればその形状・用途等です。中島氏はこの鑑定を8月18日に着手して同日に終了しています。鑑定書は8月21日付けで作成されています。この鑑定書も今回開示されたものです。中島氏単独のものです。(1)のものも8月21日付けの鑑定書です。2通あるということです。
中島氏はこの(1)と(4)の鑑定嘱託で、8月10日に「発見押収」されたというリン止めネジは完全に怪しい(捏造物だ)と直感したはずです。(1)に加えて(4)ですから、中島氏がそう考えるのは当然です。「ネジ発見」が真実ならば、そのネジを中島氏が既に持っているリン止めネジと比較すればよく、(4)の鑑定嘱託は不要です。そして中島氏は、捏造の「発見押収ネジ」を本当に発見押収したネジであるかのように印象付けるために、演技の捜査がなされているという認識を持ったはずです。
(2)の時計店への聞き込みや、(3)のリズム時計札幌支店への聞き込みは、既に3月4月段階で終えている捜査です。シチズンの全てのトラベルウォッチのリン止めネジは同一規格であり、かつ他メーカーのものとは異なっていることは、爆弾捜査本部から中島氏へも3月4月で伝えられています。だから中島氏は48回公判で前記のように証言できたのです。
(5)鶴原警部補が、8月24日付けの「捜査関係事項照会書」と「添付のネジ」(発見押収ネジ。ただし、これは傷が付いたネジにスリ替えられたものです)を持って、24日札幌を発ちます。氏は8月25日午後1時10分頃に東京にあるリズム時計本社の販売部長宅を訪ねて、「照会書」とネジを示し、酷似していると言われ、8月26日に栃木県にあるリズム時計益子工場へ赴き、吉村工場長に「照会書」とネジを示して検査をしてもらっています。吉村氏は8月26日付の「捜査関係事項に対する回答書」(「ドライバーキズあり」とあるもの)を作成します。鶴原氏は同「回答書」を受けとって、8月27日午後1時40分頃に、リズム時計から委託されてリン止めネジを製造している東京の三進鋲螺へ赴いた後、8月28日に札幌へ戻っています。鶴原氏は8月28日付けの「追跡捜査結果報告書」を作成しています。今回開示されたものです。鶴原氏は1審47回公判で、8月15日から後述の9月13日の吉村新氏の鑑定書までの捜査を証言していました。
(6)吉村新リズム時計益子工場長が、8月26日付け「回答書」を作成します。今回開示されました。
(7)爆弾捜査本部は8月28日付けで、中島氏に鑑定嘱託を行います。中島氏は28日に実施し8月29日付けで鑑定書を作成しました。これは1審で証拠調べされたものです。中島氏は、「発見ネジ」(スリ替えられたもの)を提供されないままにこの鑑定書を作成させられています。
(8)爆弾捜査本部は9月8日付けで、益子工場長の吉村新氏に正式の鑑定嘱託をします。鶴原氏が鑑定嘱託書と「発見ネジ」を持参して益子工場へ赴き、9月9日から9月13日で鑑定がなされて、9月13日付けの鑑定書が作成されました。これは1審で証拠調べされたものです。
以上は、「ネジ発見」をもっともらしくするための演技の捜査です。長くなりましたので、第70回コラムでまた書いていくことにします。
2015年5月6日記
大森勝久
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