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謹賀新年
裁判所が「証拠の開示勧告」をしました。2015年から再審請求審はまた動きだしていくでしょう。
引き続き本コラムを読んでいただけたら幸いです。
●検察官の「回答」と「開示証拠の内容」は1月に書くコラムで報告します
裁判官から未開示証拠の開示勧告を受けた検察官は、11月13日に「年内中に回答します」と答えていましたが、12月の半ばを過ぎると思われます。検察官は嫌々開示するでしょうが、開示された証拠(鑑定書など)の写しを弁護人に差し入れてもらい、読んで文をまとめますと、12月に書くコラムには間に合わなくなります。ですから、これらは1月執筆のコラムに回すことにいたします。
そういうことで、今回は裁判を離れて書くことにしました。
●クリスマス、お正月のこと
クリスマスやお正月が近づいてきますと、なんだかワクワクした気分になります。札幌拘置支所でも、クリスマス・イブにはケーキ(ロールケーキらしい)を出してもらえます。パックココアも。25日にトリステーキです。そして12月31日の夕食に、お正月の豪華な折詰めが出ます。北海道では31日に折詰めを食べるのです。楽しみです。年越しそばも出ます。
1月1日の昼にお雑煮、2日の昼におしるこ、3日の昼にきなこもちが出まして、それぞれ3個の丸もちが出ます。でも12月29日から3日までは毎日、お菓子も出ますので、お腹は一杯になってしまいます。お菓子は残すものも多いのです。ですから、私はおもちもせいぜい1個か1個半食べる位ですが、日本人の文化ですので、お正月のおもちは嬉しいものです。
クリスマスやお正月のことを考えますと、昔のことも思い出されます。
子供の頃は、クリスマスには母ではなく父が、トリのもも肉を焼いてくれました。「自分の方がうまく焼ける」が父の口癖でした。父は税理事務所に勤めていましたから、クリスマス・イブには決まって担当するお菓子屋さんからケーキを頂いてきていました。買えば随分高価な3段の大きなケーキでしたので、子供たち3人は大満足でした。
子供の頃は新しい服は、クリスマスのプレゼントとして買ってもらい、その新しい服を着てお正月(新年)を迎えたものでした。嬉しかったですね。愛する父母には幸せを一杯頂きました。
大学に入ってからは、1年2年と自分でケーキを買うこともなかったのでした。が、3年(1970年)になって彼女が出来て、彼女がクリスマス・イブにケーキを買って私のアパートに来てくれました。紅茶を入れてケーキを食べてから、2人で街(柳ヶ瀬)へ出て、時々入ったカレー専門店でカツカレーを食べて、その後、前年のクリスマス・イブにも2人で入った洋酒喫茶へ行ったのでした。彼女とは前年の「クリスマス・イブ・ダンスパーティー」で初めて知り合ったのでした。71年のお正月はアパートで彼女とおもちを焼いて食べました。金網は持っていなかったので、このためにスーパーで買いました。
それからは、クリスマスケーキとは縁のない生活でしたが、1974年苫小牧で暮らしていたときには、近くのお菓子屋でクリスマス・イブに、ショートケーキを何個か買って食べました。翌年7月には札幌へ移りました。2階を間借りしたのですが、大家さん夫妻が「忘年会」に私を呼んでくださって、その日が25日だったでしょうか、ケーキも頂きました。あるいは別々の日だったかもしれません。
Nさん夫妻は、私の父母と同じ年でしたし、すでに独立してみえた一人息子さんが私と同じ年ということもあり、私に大変良くしてくださいました。76年のお正月にもお雑煮とかあべかわもち、だて巻きとかいろいろ頂きました。おもちは2年ぶりでした。
私にとって、左翼以外の人との社会での思い出は大事なのです。高校時代は一方的に想いを寄せていた人の思い出、大学時代は第1には、彼女との思い出ということになります。苫小牧時代は、青果・鮮魚店で配達の仕事をしていたので、配達先の寮・クラブ・病院のまかないの女性や栄養士(女性)との短い挨拶、そのひとつ王子クラブにいた母と仔の2匹の犬とのふれ合いが思い出です。でも、クリスマスとお正月の思い出となると、家族以外では限られてきます。
2014年12月1日記
大森勝久
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