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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

第56回 桜は思い出深い花です(2014年4月10日記)
桜は思い出深い花です
●桜は最も好きな花です
 裁判の方はまだ動きがありませんので、それ以外のことを書きます。2人の友人の手紙(4月3付と4日付)に、桜の話題が書かれてありました。桜前線の話と庭の桜の話です。関東はもう桜なのですね。札幌は今冬は雪が多かったので、やっと4月7日に積雪ゼロになりました。でも道路横には雪はまだ残っています。札幌のソメイヨシノの開花は、平年ですと5月5日前後です。風呂の日に窓の隙間(1センチ)から150メートル位先にかすかに眺めることができます。待ち遠しいです。

 1973年に私は北海道を調査のために訪れましたが、このとき、私は3月末頃に大阪で桜を見て、4月初旬に岐阜(美濃加茂市と岐阜市)で見て、東北本線に乗るために東京の上野公園の桜も愛でて、北海道では5月に桜を見たのでした。

 桜は美しいし、一番好きな花かもしれません。まつわる思い出も多い花です。大学の時は彼女と、また学友と花見をしたものです。私が社会で過ごした最後の春は、1976年の札幌でしたが、隔日出勤の仕事(朝9時から深夜1時)をしていましたので、昼間は時間がありました。桜を見に、北海道大学キャンパス、円山公園・北海道神宮、中島公園、旭山公園、遠いところでは野幌自然公園などへ車で出掛けました。友人は誰もいませんでしたが、一人でも楽しめました。

 現札拘の150m西側にあった旧札拘(2001年2月まで)では、中庭が見られました。2本の桜(ソメイヨシノ)の木があったのですが、風呂場からだと5、6メートルの近さにあったのです。風呂は午前中に入ります。花弁もよく見えましたし、甘い香りもただよってきていました。散る花弁が浴槽まで飛んでくることもありました。旧札拘では戸外運動は土のグランドで実施していました。私が入る独居運動場の4、5メートル前には、八重桜が2本ありまして、こちらは5月17、18日頃が満開でしたので、2度桜を楽しむことができたわけです。現札拘は外は見えません。

●父母との思い出
 母は昨年3月に永眠しました。父は26年前に亡くなっています。2人とも居なくなってしまうと、さすがに喪失感があります。私を丸ごと愛してくれた父母ですから。それで、父母とのいろんなことを思い出しています。

 私は1974年の1月12日頃に運転免許をとり、2月中旬頃に知人の知人から中古車を安く(3万円)譲ってもらいました。74年の春、私は桜の花見に車に家族(父母と妹弟)を乗せて出かけたことがありました。1つは2つ隣の瑞浪市の山頂公園の桜です。もうひとつは多治見の桜の名所・虎渓山です。多治見では他にも2、3ヶ所行きました。

 瑞浪の方では、ちょっとした「事件」もありました。運転経験が浅いため、道路の見極めがよくできなかったための事件です。両方とも舗装されていなかったのですが、横へ入っていくもう一本の道があったのです。見た感じ幅も広いので、勾配が少しきついかなと思われたのですが、私は山頂へ通じているだろうと思い込んでしまい、そっちの道を行くことにしました。

 セカンドギア・ローギアで登って行ったのですが、左へ曲がったら、急にぐんと勾配がきつくなり、とても登れないことが判り、私は急ブレーキを踏み、すぐサイドブレーキも引きました。不安がる全員にゆっくりと降りてもらい、平静を装って、バックのまま苦労して下まで降りました。冷や汗ものでした。初心者マークのドライバーも多いのですから、「通行止め」の標識を立てなくてはいけません。

 5月に入ってからだと思いますが、私は父母を車で大学時代を過した岐阜市を案内してあげました。新緑の季節です。木曽川沿いの道路を通って行きました。金華山と連なっている隣の山へ車で登り、岐阜の街を展望しました。2年生の6月まで住んだ望峰寮の私の部屋も近くまで行き見せてあげました。長良川の堤防上の道路も走りました。繁華街の柳ヶ瀬にある彼女ともよく入った「三愛」という一番大きい喫茶店へも連れていってあげました。父母は幸せそうでした。
 
 父母との思い出を大切にしていきたいと思います。

2014年4月10日記
大森勝久
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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)