北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)

第52回 保守主義者の私と裁判(2013年12月14日記)
第52回 保守主義者の私と裁判
●私は獄中で左翼思想を否定し去り、保守主義の思想を獲得しました
 今回は趣を変えて書きます。
 
 私はかつては左翼でした。反日闘争を社会と獄中(1976年8月から)で長い間、戦ってきてしまいました。左翼と言いましても私の場合は、ソ連も中共(中国)も北朝鮮もその他の共産主義国家も、打倒すべき敵だと考えていましたし、日本の新旧左翼とも対決していた、極めて異端派の左翼でした。

 私は、自分の思想を含む左翼思想の誤りを自覚し克服するために、余りにも長い時間がかかってしまいましたが(洗脳から脱却するためには長い時間がかかります)、獄中で左翼思想を完全に否定し去り、保守主義(真正な自由主義)の立場に立つようになったのでした。1998年のことです。

 保守主義とは、日本を弱体化し破壊して、全体主義国家に改造したり、ソ連・ロシアや中共や北朝鮮に、日本を侵略征服させるために戦っている左翼と戦い、左翼思想を日本から排除し、〈法〉の支配に基づく法秩序体制と、美しき倫理道徳が支配する日本を、発展的に永続させていく思想です。もちろん、日本侵略を狙うロシア、中共、北朝鮮と戦っていく思想です。日米軍事同盟を堅持・強化していく思想です。

 私は長年、左翼として反日闘争を戦ってきてしまったことのお詫びも込めて、命を賭して、自分にできる限りの保守主義の戦いを貫いていく所存です。私は別のホームページ「大森勝久評論集―日本の国家安全保障問題を論じる」で毎月、保守主義の立場で文を書いています。関心がおありの方は御覧になってみてください。

●捏造証拠がなければ、逮捕・起訴も有罪判決もありませんでした
 道警は1976年8月7日の午後に、初めて私に道庁爆破の容疑をかけました。8月8日の昼、私が道外へ逃走しようとしていることを知って、道警は8日の夕方から逮捕令状請求の準備を開始します。8月10日午後1時前に逮捕令状を取った道警は、午後3時21分に私を苫小牧フェリーターミナルで、「爆発物取締罰則第3条違反」容疑で逮捕しました。逮捕令状の「緊急執行」です。道警本部から電話で令状の内容を警察官に伝えて、執行しました。「爆発物の製造器具を所持していた」というものでした。

 しかし、3条の条文には「爆発物の製造器具の所持」などありません。無効の逮捕令状です。私は「法律にない罪」の容疑で逮捕されたのでした。道警がいかに慌てていたかを示しています。

 3条のその部分は、「爆発物に供すべき器具の所持」であり、具体的には「点火(起爆)時限装置」です。しかし令状に書かれていたものは、「消火器、セメント、乾電池、豆電球(懐中電灯に付いたまま)等を所持していた」です。一般家庭にあるものでしかも、それらは工作もされていないものです。「爆発物に供すべき器具」でもあり得ないのは明らかです。

 捜査機関は、無理は承知の上で、まず強引に私の身柄を押さえて、その間に後述するような主要な証拠を捏造していったのでした。私は勾留満期の8月31日の夜12時に札幌拘置支所で、「処分保留で釈放する」と告げられます。そして9月1日の朝、札幌拘置支所の門を1歩出たところで、道庁爆破容疑で再逮捕されて、勾留満期の9月23日に起訴されました。翌年から裁判が始まり、1審判決(1983年3月)、2審判決(1988年1月)を経て、1994年9月に死刑が確定しました。

 私は本コラムで、警察、検察がなした主要証拠の捏造を明らかにしてきました。それらの捏造証拠がなければ、逮捕も起訴もできませんでした。また私は裁判所が、捏造証拠を排除せず、信用性ありと評価して、有罪認定したことも明らかにしてきました。裁判所は、捏造証拠を使わなければ、有罪にはできなかったのです。

 私たちは1審2審段階では(3審の最高裁は事実の取り調べがなく、書面審査のみだから)、捏造された主要証拠のうちの一部についてだけ、捏造であることを明らかにできただけでした。それらは、北海道庁の玄関前の道路で、バックを持って道庁へ入って行き、手ぶらで出てきた2人連れの男(1人が大森)を目撃したという藤井氏の8月18日付、8月30日付等の目撃調書であり、彼の協力で作ったという男のモンタージュ写真であり、あるいは犯行声明文に手書きで記入されていた3ヶのコメ印文字の8月23日付の筆跡鑑定書(大森が本に記入していたコメ印と「同一筆跡である」というもの)等でした。

 しかし私たちは、再審請求審における新証拠によって、製造関係の主要証拠の捏造も明らかにしてきました。除草剤付着の反応があったとする8月28日付の山平鑑定書であり、同氏の8月8日付の電話中間報告書(2審になって証拠申請された)であり、あるいは8月10日の「発見リン止めネジ」等です。

●私は逮捕・起訴・有罪判決を恨んでいません
 私はかつては左翼で、社会にいたときは反日武装闘争(テロル)をめざしていた人間でした。混合火薬の主剤である除草剤はまだ入手できていませんでしたが、具体的な準備もかなり進めていました。私はもし8月10日と9月1日に逮捕されていなければ、東京等に偽名で住んで、遅かれ早かれ反日武装テロルを実行していったはずです。1審裁判官がもしも、「藤井目撃証言は全く信用できない。捜査官の誘導の産物だ。被告人は大いに疑わしいが、しかし犯人とするには証拠が不十分であり、無罪とする」との判決を出していたら、私はやはり警察官の監視の隙をついて、地下へ潜行して、反日武装テロルを実行していったことでしょう。

 私は第7回コラム第34回コラムでも書きましたが、証拠を捏造しての逮捕と起訴、捏造証拠を使っての裁判(死刑判決)を、恨んではいません。それによって、私は誤った反日テロルを阻止してもらえたわけですし、獄中に入ることで考える機会を得て、左翼思想から脱却することができたからです。感謝さえしています。

 更に言いますと、私は当時、「革命戦争」と言っていましたが、武装闘争(テロル)というのは「都市ゲリラ戦争」です。だから、武装闘争をめざしている者は、治安警察に発見された場合、事件(テロル)をやった犯人であろうと、未だ事件(テロル)をしていない者だろうと、治安警察に「社会を防衛するため」に、「戦闘の論理」として、たとえその場で殺害されるとしても文句は言えません。当時の私はどのようにされても文句を言う資格のない人間でした。しかし、殺されることなく来ました。

 私はこの命を、保守主義の立場から行う、日本の永続のための戦いに使っていきたいと思っています。もし、ロシア、中共、北朝鮮に侵略されたら、日本国家は亡び、日本人は何百万人も殺害され、残りの日本人は自由ゼロで迫害されるのです。

2013年12月14日記
大森勝久


●追記
 先程(2014年1月8日)、職員が来まして、「昨日、外部交通権のない人から手紙が届きましたが、交通権がないため交付はできません。ただ、同封されていた切手は交付します」と告知されました。「星座シリーズ」の80円切手10枚を交付されました。お名前もご住所も分かりませんが、ありがとうございます。本ホームページのトップページに、連絡先のメールアドレスが載せてあります。そちらへご連絡していただければ、間接的に私に届くことになります。
大森勝久
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