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●裁判所が意見書と補充書の提出を促す
先頃、裁判所は検察官に対して意見書を、弁護人に対しては補充書の提出を促してきました。
第2次再審請求は本年1月下旬に行われました。私たちは、再審請求趣意書と新証拠を提出しました。裁判所はこの間、関係記録を読み進めてきたわけですが、かなり読み進んだらしく、上記のことを促してきたわけです。
弁護人は、その前から準備をしていましたが、再審請求の補充書(一)をまとめまして、私に送ってくれました。説得力ある内容になっています。私も何点か意見を述べました。弁護人がそれを踏まえ確定稿に仕上げて、この8月に裁判所へ提出することになります。
第2次再審請求では、「山平鑑定は不存在」と「発見リン止めネジは捏造物」の2つを主張し、それぞれ新証拠を提出ています。補充書(一)は、後者についての補充を述べたものです。
●補充書(一)の「見出し」
補充書(一)の「見出し」は以下のようになっています。
1、本件ネジの証拠上の位置付けとネジ紛失の不自然さ
2、警察は、マイナスネジが犯人の手元に残っていると想定し、請求人居室で本件ネジの発見を捏造した
3、ネジの「発見」の経緯の不自然さ
4、ネジ発見後の捜査の不自然さ
5、ネジのすり替え、ないし工作
「小括」として、「以上検討してきたように、そもそも、請求人の居室にあった布団袋の中からネジが発見されたというのは捜査機関による捏造である上に、しかもそのネジ自体、捜査の過程の中で、傷を付けたものとすり替える、または工作されるという二重の証拠の捏造が行われたのである」と結ばれています。
●補充書(一)の内容
詳しくは第48回以降のコラムで書いていきますが、今回は大略を述べます。
「見出し」の1と2ですが、道警は道庁爆破事件の捜査の中で、時限装置に使われたトラベルウォッチのネジの使われ方(リン止めネジ2本=マイナスネジの代わりに、ケース止めネジ2本=プラスネジが転用されていた)から、犯人の手元にマイナスネジ2本が残ったことを認識していました。事件(1976年3月2日)後、1ヶ月程で把握していました。
私は同年8月6日から7日にかけて、様々なものを札幌市内各所に投棄したのですが、道警はうまく尾行をして全てを回収したのでした。すぐにそれらの証拠物を分析したのですが、本件爆発物製造に直接結びつくものはありませんでした(投棄された器具には、木炭末とイオウは付着していましたが、除草剤《混合火薬の主剤の塩素酸ナトリウム》の付着もなかったのです。私は除草剤の入手がまだできていませんでした)。
そこで道警は、私を逮捕した際の私の居室(札幌市)の捜索差押において、犯人の手元に残ったマイナスネジの「発見」を捏造することにしたのでした。私を犯人として起訴・有罪にするためです。里警部他6名は、私が苫小牧市のフェリーターミナルで逮捕された8月10日、私の居室に残されていた布団袋の中からマイナスネジ1本を「発見」したのでした。1審、2審判決も、この「発見ネジ」に高い証拠価値を与えていました。
犯人の元にマイナスネジ2本が残ったわけですが、しかし犯人がそれを紛失させることは考えられず、ちゃんと処分してしまったはずです。私の投棄物の中には、時限装置の電極に使うために切り取った簡便ナイフの保持部の残りも有りました(私は本件事件とは関係なく、時限装置を作っていました。その時計は別の機会に捨てています)。
「発見ネジ」が捏造物であることは、「見出し3」で詳述されています。既に42回、43回コラムでも述べましたが、次回以降でも更に述べていくことにします。
「見出し4」ですが、里氏は時計のネジだと思って押収しています。道警はこれまでの捜査で4月までにトラベルウォッチを3、4個入手していましたから、「発見押収ネジ」を、すぐその手持ちのリン止めネジ(マイナスネジ)と比較する鑑定を実施すればいいのですが、そうではありませんでした。
本件捜査を指揮した実質ナンバー1の石原警視は、5日後の8月15日になって、「何に使われているネジかを捜査しろ」と、3名の捜査員に「発見ネジ」を持たせて、市内の店へ聞き込みをさせた、と証言したのでした。道警は「発見ネジ」は捏造物でなく、本当に発見されたものだ、と裁判官らを騙すために、こうした下手な芝居の「聞き込み捜査」をしたのでした。これについても、今後詳述していくことにします。
「見出し5」ですが、道警は里警部に新しいリン止めネジ(マイナスネジ)を渡して、「発見」を捏造させたのでした。しかしその後に、「犯人は工作をしたのだから、ネジの溝にドライバー痕がついていないネジではまずい」ことに気付いたのでした。それで道警は、傷が付いているネジとすり替えたか、ネジにドライバー痕を付ける工作をしたのでした。補充書(一)はこの真実を、検察側証人の証言を批判的に検証することで、明らかにしています。これについても、今後詳しく述べていきます。
2013年8月10日記
大森勝久
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