北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第46回 1970年岐阜の夏、1975年札幌の夏
(2013年7月11日記)

1970年岐阜の夏、1975年札幌の夏
●岐阜の夏(1970年)のソフトクリーム
  再審請求書の審理(非公開)の方は、特段の動きはありませんから、今回も裁判を離れて書きます。

  今日も暑い日です。昨日もそうでした。ここ一週間ほど暑い日が続いて、夏好きの私としては嬉しい限りです。

  昨日のことですが、昼のラジオを聴いていましたら、「ソフトクリーム」のCMがありまして、遠い昔の岐阜の夏、ソフトクリームを食べた情景が懐かしい感情とともに甦ってきたのでした。ソフトクリームを売っている店は、私が知っている限りでは喫茶店以外では2店でしたが、そこでの想い出です。

  アパートから程近い、長良北町の交差点に面したファーストフード店がそのひとつです。この店は私が大学2年の時に開店したのだと思いますが、おにぎりとパンと飲み物とソフトクリームを売っていました。店員が若い女性ということもあり、元寮生の友人と何回か利用したものです。きっとその時にも、ソフトクリームは食べたでしょうが、記憶には残っていません。男同士でソフトクリームは絵になりませんよね。

  昨日CMを聴いて情景が甦ってきたのは、3年生のときに彼女と一緒にその店に入って、ソフトクリームを買って歩きながら食べている光景でした。私はバニラが一番好きなのですが、そこはミックスのソフトクリームしか売っていませんでした。よく晴れた暑い日の想い出です。

  もうひとつの店は、繁華街の柳ヶ瀬本通りを入ってすぐ左のデパートの一階ですが、その西側の非常に狭い路地に面した外側に売り場があったのです。路地を20m位も入っていきますので、知らない人も多かったと思います。ここはバニラもミックスも売ってました。ここで彼女と買った時のことも想い出しました。彼女は「同じ値段で2つの味を楽しめてお得」ということで、ミックスの方を食べていました。

●1975年札幌の夏
 今日の昼食は「みそラーメン」でした。御飯も付きます。私が大好きなメニューのひとつです。札拘の食事はどれも大変美味しくてありがたいのですが、メン類は食堂で食べているように美味です。夏に熱いラーメンを食べるのは、またいいものですね。

  私は1975年の夏は札幌で過ごしました。6月30日に苫小牧から転居してきまして、小幡荘(大家さんの2階に6部屋ありました)に入居しました。3畳の狭い部屋でした。部屋の3分の1くらいは天井が斜めになっていて、真っすぐ立つと頭がつかえました。共同トイレでしたし、台所は大家さんの台所を借りなくてはならず、不便でしたが、ひと夏を過しました。10月初めに転居しましたが。

  私は7月初めから9月下旬まで、繁華街ススキノにあるナイトクラブのボーイの仕事をしました。夕方5時の出勤で、深夜2時位までの仕事です。夕食(5時)と9時頃に夜食がつきましたが、私はこの間ほとんど毎日、仕事が終わるとススキノの店で「みそラーメン」を食べてから帰宅していました。この時から「みそラーメン」が大好物になりました。

 小幡荘の前の道は、幹線道路から入ってくる広い道でしたが、珍しくまだ土の道でした。土の匂いがして嬉しかったですね。かげろうもよく立ち昇っていました。私は遅い朝食と昼食を兼ねて、平日はよく北海道大学のクラーク会館にある学生食堂で食事をしました。学生食堂が閉まる(土)(日)は、近くのスーパーでフランスパンと500mlの牛乳と野菜(キュウリやトマト)を買って、マーガリンをいっぱい塗って、下の道路や庭に木や花のある家並みを見ながら食事をしたものでした。隅の部屋でしたので、窓が2ヶ所にあって風通しはありました。私はこの2階からの光景が割と好きでした。

  車(中古の「ファミリア1200」)は、小幡荘から50m程西に離れた空地横にとめていました。空地は雑草が生い茂っていましたから、深夜2時半頃に帰ってきて駐車しますと、虫の鳴き声が聞こえてきたものです。しばしそれを聴くのも楽しいことでした。

2013年7月11日記
大森勝久
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