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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第45回  長良川の鵜飼(2013年5月28日記)

長良川の鵜飼
●鵜飼の思い出
 5月半ばに届いた友人からの手紙に、「早朝のテレビニュース(5月12日)で、岐阜長良川の鵜飼が始まったと言ってました。10月15日までだそうです。大森君は観たことがありますか?」と書かれていました。以前にも一度、彼には鵜飼については書いた気がしますが、楽しいことは何回書いても嬉しいので、返事を書きました。このコラムにも、鵜飼の思い出を書いてみます。

 「鵜飼」と聞きますと、懐かしさを覚えますが、じつは私は2回(3回)しか観ていないのです。私は大学時代他で、4年余り(1968年4月から1972年6月末まで)岐阜市で暮らしました。街の中心部に出たときは、バスで長良橋を通りましたから、帰りのバスの車窓から、鵜飼の屋形船の明かりを目にしたことは何度もありました。でも直接観に行ったのは2回でした。もう1回は、デートのついでに眺めたというものでした。

 鵜飼を間近で見ることができれば、風流を感じて、また観に行こうということになったでしょう。しかし夜、暗くなってから始まりますから、ほとんど見えなかったのです。屋形船に乗るだけのお金は学生にはありません。だから見物に行ったのはこの時だけでした。

 有名な金華山(織田信長の城が山頂にあります)のふもとに、長良橋が南北に架かっています。長良川の北側に私の大学や寮やアパートや買い物などをした長良北町があり、繁華街の柳ヶ瀬や駅は南側にあります。大学の医学部は南側にありました。

 大きな観光ホテルが、長良橋の上流(東側)側の両側に連なっていました。北側に特に多くありましたね。現在は、南側の長良橋の下流側にも建っているようです。鵜飼見物の屋形船の乗船場は、長良橋の南端の真下にありました。今も同じです。観光客は送迎バスや歩いて乗船場へ向かいます。

 乗船して上流方向へ6、7百m程上り(正確には分かりません)、そこから長良橋の手前50m位までを、ゆっくりと鵜飼をしながら下ってくるのです。鵜匠1人が乗った船が4、5隻と、その1隻ごとを屋形船が4、5隻で囲むようにして下っていくのです。観光客は、屋形船で料理とビールなどの飲みものをたのしみながら、鵜飼を見物するというわけです。「パンフレット」の知識がまざっています。

 私が最初に観に行ったのは、大学に入った年の夏の始めです。寮生何人かと一緒に出かけて行き、北側の道路から見たのでした。もう1回はやはりその年の夏で、長良橋の上から眺めてみました。しかしながら、長良川は川幅はとても広く、鵜飼は中央からやや南寄りの流域でなされていましたから、小さくしか見えません。なによりも、明りがないのです。あるのは、魚を集めるかがり火と、屋形船の明かりのみです。だから暗くて鵜匠の姿は全く見えませんでした。ましてや鵜が魚を獲っているところなど全然見えません。ですから鵜飼ではなく、単に「多くの屋形船がいるな―」という感じでしかありませんでした。

 長良川と屋形船だけでもよく見えるのでしたら、それはそれで情緒ある光景でしょうが、なにしろ暗く、遠くて小さいので、それもよく見えないのです。私は目がよくないこともありましたが、長良川はただ黒いだけで、「川に船が浮かんでいる」とは見えませんでした。だから、それ以降は見物するために出かけることはなかったのです。デートの時に、たまたま見たのが1回あっただけです。

 長良川の南側はとても広い河原になっています。私は3年の夏に、彼女とのデートでそこへ行ったことが一度ありました。堤防に近いところに座りましたが、遠くにぼんやりと屋形船の明かりが見えていました。

●私の一番好きな風景
 私は鵜飼を見物に行くことはありませんでしたが、夏になれば、鵜飼の季節がやってきたと思っていましたし、「風流だ」と感じていたのでした。ここは、少し説明が必要になりますね。

 長良橋の南端から上流方向に堤防に沿って、100m位が船泊りになっていました。今も同じです。長良川からそこまで水路が作られていました。昼間、そこに赤い屋根の屋形船がきれいに並んで係留されていました。50隻位あったと思います。

 昼間や夕方、長良橋を通れば、自然にこの係留されている赤い屋根の屋形船が目に入ります。おかしなものですが、私は昼間や夕方にこの屋形船を見たときと、夕方にホテル着を羽織って、長良橋を乗船場へ向かって歩く観光客の姿を見た時にも、「鵜飼」を意識し、風流さも感じていたのです。想像力の産物ですね。想像の中では、美しくなります。残念なことに、観光客に若い女性はいませんでしたが。この光景はひと夏に何回も見ましたから、その都度「鵜飼」も意識していた私でした。

 鵜飼が行われていた場所は、私が大学3年の夏休みに、小学生対象の「水泳教室」のコーチのアルバイトをしたところです。昼間は、長良川の清流も、広い白い河原も、背後にそびえ立つ緑深い金華山も、係留されている赤い屋根が美しい屋形船も、長良橋の上や両堤防を歩く人々と走る車も、連なる美しい観光ホテルも、はっきりと一望できます。私が岐阜で一番好きな風景でした。

 今もよく思い出していますし、その写真も眺めています。長良川の鵜飼も、昔のように盛大に行われていってほしいと思います。きっと今も観光客は、長良橋の上をホテル着を羽織って、周りの景色を楽しみながら歩いていることでしょう。

 なお、私が高校生になった頃、静岡市に住んでいた叔母さん(母の年の離れた妹)が、この岐阜長良川の「鵜匠の家」の息子さんと婚約したのでした。私はこの時に、初めて鵜飼というものを知ったのでした。しかし、間も無く破談となってしまいました。

2013年5月28日記
大森勝久
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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)