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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)


第44回  家族の記憶(2013年5月4日記)

家族の記憶
多治見−家族揃っての花見
 北海道は5月に入ったというのに、季節が1ヶ月余り逆戻りしてしまって、3月下旬から4月初旬頃の気温が続いています。昨日5月3日は、札幌でも雪が降りました。5月の降雪としては21年ぶりとか。桜の開花も遅れ、札幌では5月9日になるとのことです。5月13日、15日は風呂の日なので、風呂場の窓の隙間(1cm)から満開の桜を眺められそうです。150m程も先なので、淡くピンクに染まった2本の桜の木が見えるだけですが、「今年も桜を見ました!」ということが大事なのです。春の直接体験です。そこから想像もふくらんでいきます。

 この桜の木は少年鑑別所の庭にあるのですが、前は「旧札幌拘置支所」の中庭にあった木で、私の居室のすぐ斜め前方にあった2本です。毎年眺め、語りかけていましたから、古い友人のような存在です。永く生き続けてほしいと思います。

 私の実家があった多治見(岐阜県)では、家のすぐ裏(1m)が神明神社の森でした。小さな森ですから、どこにどんな木が生きているのか、今でも思い出せます。何しろ毎日一回は森を歩いていましたし、子供の頃は長い間遊んで過ごした所です。木登りは遊びのひとつでした。37、8本の桜の木がありました。家のすぐ裏にも1本ありましたね。しかし点在していまして、最高でも3本が並んでいるだけなので、お花見の宴会をするには適していませんでした。だから、お花見見物に訪れる家族連れは一度も見たことがありません。

 私は自分の森のような感覚にもなっていましたので、小学5年か6年頃だったと思いますが、神明山でのお花見も素敵ではないかと思って、父や母に、今年は3本並んだ木の下で、お花見をしませんかと提案したことがありました。「やってみよう」ということになりました。しかし、いざやってみますと、余り盛り上がりませんでした。単に一人で眺めるのと、家族揃っての花見(宴会)では、全く違うものだと学びました。神明山での花見は、その一回だけでした

 大森家では私が中学2年になるまでは毎年、多治見市民の花見の名所になっている、虎渓山あるいは修道院あるいは永宝寺(虎渓山から北へ下りると永宝寺)でお花見をしていました。どこも楽しそうな家族連れでとても賑やかでした。大森家のお弁当は、いなり寿司とのり巻きが定番でした。当時はまだ「ワンカップ大関」はなく、父はウィスキーのポケットびん1本を持っていくこともありました。

 楽しいことばかりが思い出されます。立派な父や母であり、今は私の心の中で生きています。というよりも、父や母は私の一部でもあるわけです。また私は、父母から人としての倫理道徳を教えられました。

 妻が以前多治見の家へ行ったとき、夏でしたが(1987年7月)、一緒に撮った写真があります。父も母も弟も祖母も、幸せの微笑みを浮かべて写っています。もちろん妻もです。私の宝物のひとつです。この時は、妻には神明山の忠魂碑の前で写真を撮ってもらいました。別の時ですが(父は既に永眠)、妻が再び多治見を訪れたとき(1998年5月)、母と一緒に虎渓山、修道院、永宝寺等にも回ってもらい、写真を撮ってもらいました。私が好きな場所です。

 このような家族の記憶が、子供から孫へ…と継承されていきますと素晴らしいのですが、残念ながら私たちには子供がありません。神明山にはかなりの大木もあります。私は、それらの木々が大森家のことも記憶していってくれるのではないか、なんて考えることもあります。虎渓山の木々もです。このホームページにも記録を残しておきたいと思います。

岐阜のこと
 私は1968年4月から72年6月末まで、大学のある岐阜市で暮らしました。私の第2の故郷です。岐阜では随分いろんな所の桜を楽しみました。前にも書きましたが、寮生や教養課程のクラスで花見をした長良川公園の桜。もちろん大学長良キャンパスの桜。県営グランドの桜。入居した正木アパート近くの長良天神神社参道の桜。岐阜公園や金華山登山道の桜。岐大医学部そばの美江寺公園の桜。美江寺観音や岐阜本源寺西別院境内の桜。柳ヶ瀬にある金公園の桜。駅裏の天満公園の桜。彼女と一緒に見た桜も何ヶ所もあります。

 1987年7月、妻にも私が生活の拠点にしていた長良北町や好きな長良川の堤防へ行ってもらって写真を撮ってもらいました。時を隔てて、同じ場所に立ってもらったのでした。よくその写真を眺めています。当時、大学は移転してしまっていたし、正木アパートは無くなっていました。わずか2回だけでしたが、父母にも岐阜を案内してあげたことがありました。

 人々が、私が岐阜で生活していたことを仮に忘れてしまっていたとしても、私はいつも岐阜のことを想いながら今を生きています。また私は、金華山や長良川も私たちのことを覚えてくれているだろう、と空想的に考えるようにしています。長良北町交差点からは、金華山をはっきりと望むことができました。だから、妻のことも記憶してくれていることでしょう。そのように考えますと、楽しく、また心強くなります。
2013年5月4日記
大森勝久

(追記。桜の開花予想は更に遅れて、5月12日になり、結局13日に開花しました)
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北海道庁爆破・再審請求裁判(大森勝久)